「感謝しましょう」の罠

スピリチュアルな探求を始めてから、嫌という程言われてきた「感謝しましょう」という言葉。細かいニュアンスはさておき、似たような事を言われて腑に落ちない経験をしてきた方もいるかもしれません。私の場合は、自然に湧かない状態でそれを自分に強いてみても強烈な苦痛しか感じませんでした。あまりにもその反応が大きかったものだから、「感謝云々ぬかす奴は頭の中がお花畑状態なのではないか?」とさえ考えていました(笑)

ただ、最近は「感謝」はするものではなく、ある状態の表われとして出てくる結果のようなものだと最近感じ取るようになりました。だから、自然に感謝の念が湧かない場合は、それを無理強いする必要はないと考えるようになり以前のように「感謝すべき」という強迫観念は薄れました。

ちなみに、「感謝する」事が苦痛に感じる時はガラリと発想を変えて、それを地雷探知機として使ってみると新たな発見があるのかもしれないなと思いました。感謝する事に対して、激しい抵抗感や違和感が湧き上がってくる事も多いので、そういった反応を拾って内観を進めてみると少しは楽になるかなと思いました。

内観の過程で気付いた事 - 感情とか気分も実は・・・

唐突に感情や気分も実はラベルのようなものなのかもとふと思った。それらも思考と同様に立ち現れたものごとに対して貼り付けているものに見えました。その事があって思考・感情・気分は全てエネルギーが立ち現れた後に作られるもの、という認識た強まりました。 内観していて思考に気付いてもいつのまにか思考に流される事が多いのは、感情や気分をその観点において見落としていたからなのかもしれません。

さておき、エネルギーに感情や思考などのラベルを貼り付けずにエネルギーのまま観てみたらどうなるのだろう? という素朴な疑問が浮かびましたので、今後はその事も少し意識しつつ日々を過ごしてみようと思います。

※立ち現れる何かの事を適切に表現する言葉が思い浮かばないので、自分は仮で『エネルギー』と表現しています