これまでの振り返り

何をやってもグズでしょうもない自分は、がむしゃらに物事に取り組む事ができなくなっていた。 そういった経緯から自分は引き寄せの法則をはじめとした自己啓発に興味を持つようになった。 願望実現といえば自己啓発の定番のテーマだけれど、実際のところ自己啓発に関心を持つ人の多くは 願望実現そのものよりも、自分の心をどうにかしたいという意識が強いのではないかと思う。 さておき、引き寄せの法則を実践していく中で、どことなくこれは仏教やその他の宗教で語られている事と似ているなぁと思いながら、その時できる最善をつくして実践と読書を行っていた。

それから、引き寄せの法則について取り組む内、願望実現そのものに対する欲は次第に薄れていった。 それを実現して心から安心できるのだろうか? それを得られなければ、永遠に欠乏感を抱えて生きなければいけないのだろうか? そもそも、変わらない現実とのギャップにストレスを感じてしまうし、これは何かがおかしいと感じるようになった。何よりも書籍に書かれている事のパラドックスに意識が向かうようになった。

それから一時期、瞑想や座禅に関心を持つようになり、完全に現実逃避的な思考から体外離脱に 取り組んで、おかしな幻覚や体験をした。瞑想によって、心を鎮めるというより、 瞑想によって、変なビジョンを見たり不思議体験をしたいという意識がその時は強かった。 でも、それも次第に興味が薄れていった。自然と体外離脱やビジョンを見るために、何時間も 意味もなく横になったり、瞑想をする事が馬鹿らしくなってしまったのだ。

そして、内観に取り組むようになる。内観に取り組む過程で、スピリチュアルな ワークショップやヒーリングにも何度か足を運んだ。同じような分野で取り組んでいる 他者と繋がりたいと考えた事も動機の一つだった。そこでは様々な出会いがあった。 知り合った方の取り組む姿を見る事で自分自身の学びにもなったし、純粋に他者との交流が楽しかった。もちろん、楽しい事ばかりではなかったけれど。ちなみに、その手の界隈では相手を不安や恐怖に陥れて依存させるよう仕向ける人間も多々いるという事だけれども、自分の場合はむしろ逆で依存的な関係性を戒める方との出会いが多かった。

それから数年内観に取り組みつつ、世間的な願望実現よりも、自己探求・内面の観察に関心が向かうようになった。まだその時点では新たな知識や内観に取り組む方々のコミュニティを求めていたように思うが、段々とそういったコミュニティに関わる事、内観に取り組む他の方と新たに交流する事への興味は薄れていった。自己探求とは極めて個人的な取り組みだ。他者との交流ではなく、自分自身との深い交流が必要な事に思う。師匠という程ではないけれど、私が信頼する人の言葉を受け止める度に何故かその想いが強くなっていったように思う。 そうこうするうちに段々と、内観や自己探求・スピリチュアル関連の方々の発言や行動に違和感を感じるようになり、一挙種一頭に苛立ちを感じる事を自覚するようになった。そこには様々な思考があった。嫉妬であったり、軽蔑であったり、自分には理解できないという疎外感であったり色々思うところがあった。様々な感情とともに他者のあり方を見て、最終的にはその人にとっての真実はそうなのかもしれないと思うようになった。ただ、それは自分が求めるものではないと思い至った。

まだ心から安心できる日はやってこない。

自分を支えてくれると考えていた地面がなくなって、底なしの穴に落下を続けているような絶望的な感覚の中で日々を生きている。知識や物や、人間関係は尊い。けれど、自分自身の平穏とはなんら関係がないのだ。その事を自覚してホッとする自分を自覚する事ができる。 とにかく、自分は自分自身の真実を突き止めたい。とはいえ、真実ってなぁに? というような状態ではあるけれど。